しかみ像
特に歴史が好きというわけではないけど、
徳川家康がこの自画像(しかみ像)を描かせたときのエピソードは好きだ。
武田信玄に討ち死に寸前まで追い詰められ、僅かな家臣のみで城へ逃げ帰る。
この時の家康はあまりの恐怖に脱糞したという、城へ到着した家康は、
全ての城門を開いて篝火を煌々と焚いた。
あまりに不自然な様子に、罠ではないかと怪しんだ武田軍は深追いをしなかった。
そしてそのときのボロボロの状態を絵師にを描かせたという。
このやぶれかぶれなカンジが人間臭くて好きだ。
このブログが僕にとってのしかみ像だ。
かつて付き合っていた彼女がいたが、
あるとき「休みの日にどこへ行こうか?」なんて電話で話した
ほんの2時間後に突然別れ話を切り出されてしまった。
あまりに突然のことに頭が真っ白になった。
会って話をして、「なんで?」ときいたが、「もう決めたのだから」と彼女は言った。
なおも食い下がる僕に彼女は「不誠実だ。」と言い。
「(もし僕と)いっしょになったのなら幸せになれるかもしれないが、冷めたの。」と言った。
そしていくつかの条件を挙げ「(こんな条件の人とは)もう付き合わない。」と言った。
「私の幸せを願うのなら別れてほしい。」といわれ何も言えなくなった。
別れ際、「いつか(僕の)元気な姿がみたい。」と言ってその場を去っていった。
僕は一人その場に取り残された。
とても悲しかった。
夜も寝られなくなり、ご飯も食べられなくなって、消耗し、痩せた。
残念だったけど、振られてしまったのは仕方が無いことだと思った。
回復にはかなりの時間を必要としたが、それでもゆっくりと回復してきていた。
体重も少しずつ戻ってきていた。
最近、彼女に彼ができていたことを知ってしまった。
相手は僕が親友だと思っていた先輩だった。
付き合いも長かったし、苦楽をともにしてきた。
彼女は僕と先輩の仲を知っていたはずだし、
先輩も僕がボロボロになっていく過程をみていた。
なのになんでそんなに残酷なことができるのだろうか?
僕を振ったときの彼女の言葉はいったいなんだったのか?
これも仕方が無いことなのか?
先輩は振られた僕を励ましたり、助言したりしたその傍らで僕を欺いていたのだ。
最近は僕が感づいたことを察知したのか。あまり話しかけてこなくなった。
先輩も彼女も僕もとても狭いコミュニィティで生活しているのでとても息苦しい。
僕が引越しを手伝ったその部屋で二人で僕をあざ笑っているのかと思うと、
胸が張り裂けそうになる。
こんな話は学生のサークルの話で、まさか社会人になってから僕に降りかかるなんて
思ってもみなかった。
悲しみが怒りに変わり、怒りが憎悪へと変わったが、どうすることも出来ず、
その激しい感情は中和できない酸のように僕を侵食した。
あまりにもつらすぎる事実だ。
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